facebook
instagram
TOP

あしぶえとは

あしぶえの年表

1966 年

(昭 41)

  • 松江南高校の演劇同好会メンバーの園山土筆ら 20 歳を年長とする 4 人で「松江演劇同好グループ」(仮称) を結成。

1969 年

(昭 44)

  • 正式名を、「劇団葦笛」とする。人形劇公演を始める。
  • 旗揚げ公演「私のかわいそうなマラート」の掲載広告をもらいに行き、「劇団なんてとんでもない ! 」と塩をまかれる。

1970 年

(昭 45)

  • 園山土筆が夫の転勤で広島市へ。以後 24 年間、転勤先から通う。
  • このような環境が他の劇団員にも影響して、広島、鳥取、岡山、金沢、埼玉、仁摩、大田など各地から団員が通うことになる。また、外からの目が養われていった。
  • 人形劇公演のほか、「俺たちは天使じゃない」を上演。

1978 年

(昭 53)

  • 東京一極集中の演劇に疑問をもち、この年から全国各地で活躍している劇団、個人を訪ね、「地域演劇」を足で学ぶ。
  • 「野火」上演。

1979 年

(昭 54)

  • 東北の中学生の生活を描いた「かげの砦」を上演。はじめて手話通訳を取り入れる。50 人ほどの聴覚障がいの人たちの発する声なき声が、他の 600 人の観客を引き込み、感動のうねりが広がる。広島からの観客が来場。

1980 年

(昭 55)

  • 手話通訳を入れて「奇跡の人」を上演。鬼気せまる稽古のすえ、大成功間違いなしと思っていたが、照明の仕込みに手間取り散々な結果となり、スタッフ育成の必要性を痛感。広島、福岡の観客が来場。

1982 年

(昭 57)

  • 劇団名を親しみやすい「あしぶえ」に変更。
  • 「かげの砦」広島公演。

1983 年

(昭 58)

  • この年、退団者が相次ぎ、たった 5 人に。「新生・あしぶえ」として劇団の運営方法を変え、サークル集団からの脱皮をはかって、基礎から学ぶことに。大作「狐とぶどう」に挑戦。松江、出雲市公演とも不本意な舞台となり、涙をのむ。しかし、広島、大阪、福岡の観客からは、将来に期待する声も。演出も美術プランも専門家に依頼した結果、プロから学ぶことの重要性を認識。創立 3 年目に塩をまかれて以来、試行錯誤し、その悔しさはいつしか、<演劇を認められるものにしたい>という<夢>に変わっていく。山陰の小都市で自分たちが専門的な知識を吸収していけば、やがては地域の演劇文化を担う役割が果たせるはず、と確信する。

1984 年

(昭 59)

  • 「狐とぶどう」の失敗を教訓に、初めて小さな劇場 (250 席) で「キューポラのある街」の 4 回公演を企画。小劇場での観客との濃密な交流が生まれ、<演劇は観客とともに創るもの>とあらためて知る。
  • 「あしぶえ村構想」(後の劇場建設構想) を話し合う。広い土地を購入し、劇場などを造るというプランである。

1985 年

(昭 60)

  • 「ブレーメンの音楽隊」の 5 公演を企画。チケットが飛ぶように売れ、親子連れで演劇を楽しむことが求められていることに気づく。松江、温泉津公演とも立ち見となる。
  • 将来の夢を買う積み立てとして団員が毎月出費して「もってけ貯金」を始める。以後、10 年 7 ヶ月、127 回続ける。

1986 年

(昭 61)

  • 「ブレーメンの音楽隊」広島公演は大盛況。家族連れで観劇できる作品づくりの必要性を強く認識する。劇団始まって以来の黒字になる。これに加えて借金をし、200 万円で松江市砂子町の 12 坪の劇団事務所を改装して、客席 50 席の劇場を造る。照明、音響、幕類を完備した小劇場としては、中国地方で初めて。
  • 以後、<演劇を人々の暮らしの中へ>の活動が本格的に始まる。

1987 年

(昭 62)

  • 「あしぶえ 50 人劇場」杮落し公演として園山土筆書き下ろしの「落ちこぼれの神様」を上演。以後、東京、広島、出雲市公演を行い、合計 37 ステージ上演。この作品は、福岡、大阪、名古屋、伊丹、鶴岡、和歌山、宇部、黒石、沖縄、豊中のそれぞれの劇団でも上演された。

1989 年

(平 1)

  • 「あしぶえ 50 人劇場」第 2 弾として、宮沢賢治原作の「セロ弾きのゴーシュ」のロングラン公演がスタート。

1990 年

(平 2)

  • 制作費用から、1 年間 46 ステージ上演を企画したが、「わからない」「つまらない」「おもしろくない」の声が多く、観客がたった 4 人のときも。しかし、公演回数に比例して観客の評価も良くなり、とうとう 46 ステージを完演し、日本アマチュア演劇史上初のことと報道される。この作品は以後、現在まで上演を継続している。
  • 観客は、東京から鹿児島まで広がっていく。
  • 「100 人劇場」の土地探しを始める。劇団名の葦にこだわって宍道湖のほとりを歩くが見つからず。

1991 年

(平 3)

  • 平田市、玉湯町、宍道町、斐川町と探すが見つからず。

1992 年

(平 4)

  • 八雲村の石倉徳章村長と出会う。その日のうちに平原地区の丘の上の土地を見せてもらい、「ここだ ! 」と決める。その後、安く購入したいと、村長室を訪ねるうち、「村で応援したいと思いますがどうですか」と言われる。あしぶえを信用してくださるようすを見て、受けることに。
  • 劇場の基本設計に参画。
  • 「おこんの初恋」上演。

1993 年

(平 5)

  • 「島根県文化奨励賞」受賞。創立 26 年目にして、島根で演劇が認められたと皆で喜ぶ。島根県教育維持財団から活動資金を受ける。
  • 「第 8 回国民文化祭いわて 93 」で「セロ弾きのゴーシュ」上演。

1994 年

(平 6)

  • 劇場の実施設計に参画。あしぶえも 3,000 万円を集めることになり、劇団員は積み立てのほかに一時金を準備し、家族や全国のファンの人たちにカンパを依頼。
  • 「セロ弾きのゴーシュ」をもって「第 2 回アメリカ国際地域演劇祭」に参加。初めての海外公演、初めてのコンテスト参加で、言葉の壁と文化の違いに阻まれ、大ハプニングの末、世界 11 ヶ国の劇団と競演し、思いがけなく最高賞の「第 1 席」、園山土筆が「演出賞」を、長見好高が「舞台美術賞」を受賞する。
  • ウィスコンシン州の人口 9 万人の町で開催された国際演劇祭で、ホームスティを体験しながら、世界の演劇人と競演し交流することの意義を知る。「セロ弾きのゴーシュ」をじっと黙って観る日本人。笑い声を上げ、立ち上がって拍手するアメリカの人たち。観客を育てることも自分たちの仕事だと気づく。
  • 「地域文化功労者文部大臣表彰」を受賞。

1995 年

(平 7)

  • 108 席の「しいの実シアター」が完成し、入村。
  • オープン記念に西日本規模の「星降る里の演劇フェスティバル」を主管。全国 36 劇団のアマ、プロの演劇人が八雲村に集う。
  • 「全国初の公設民営の劇場」として注目される。
  • 中国新聞社から「中国文化賞」を受賞。山陰信販株式会社から「山陰信販地域文化賞」を受賞。いずれも、演劇団体の受賞は始めて。
  • 「阪神大震災」が起き、カンパ活動をしばらくストップする。

1996 年

(平 8)

  • 劇団員の力の結集で、とうとう 3,000 万円が集まり、八雲村役場へ納める。
  • 園山土筆が、ソロプチミスト日本財団「社会貢献賞」を受賞。
  • 韓国の「劇団馬山日本公演」をプロデュース。
  • 「おこんの初恋」再演。

1997 年

(平 9)

  • サントリー文化財団「第 19 回サントリー地域文化賞」を受賞。
  • 「文化庁・文化のまちづくり事業」に申請し採択されれば、助成金を得てよい仕事ができることを知る。「演劇楽校」「シンポジウム」「しいの実シアター公演」「国内外公演」のほか、「国際演劇祭開催」のプランを練り上げ、村規模では全国で初めて認められる。ぜひとも採択されたいという思いで作成した盛りだくさんの企画。それからの 3 年間の活動がどんなに大変なことになるかは、あとになって気づく。
  • 新作「ブラボー ! ファーブル先生」ロングラン公演では、創立以来初めて、発売 10 日でチケットが売り切れた。
  • 毎日新聞社主催「毎日・地方自治大賞奨励賞」を八雲村が受賞。

1998 年

(平 10)

  • カナダ「リバプール国際演劇祭」で「セロ弾きのゴーシュ」を上演。感動的なラストシーンのあと観客総立ちの拍手を受けて 6 ヶ国 13 劇団の中から「観客が選ぶ作品賞」を受賞。ゴーシュ役の三木卓二が「主演男優賞」受賞。人口 3,000 人のリバプールで開催された国際演劇祭の運営は、ほとんどがボランティアスタッフの手づくりで、町の人たちが心から演劇を楽しんでいた。
  • 八雲中学校へ、月 1 回演劇クラブの講師として出かけ、4 年間継続。
  • 「演劇によるまちづくり国際シンポジウム」をプロデュース。
  • しいの実シアターが「しまね景観賞一般建築部門優秀賞」受賞。

1999 年

(平 11)

  • 地域住民、八雲村行政、劇団あしぶえの三者が一体となって、3 ヶ国 5 劇団参加の「99 八雲国際演劇祭」を開催。
  • 演劇祭の「開催目的」「活動の指針」をつくる。多文化社会の到来を予測して、住民・行政・劇団が対等に、プロセスを大切にして、ディスカッションを進めながら準備することで人づくり・まちづくりができることを確認し合い、「八雲国際演劇祭」は会期中の成功を目的とする「イベント」ではなく、演劇による長期のまちづくり活動であると示す。
  • 八雲中学校、八雲小学校への参加劇団員による学校訪問や学校公演も実施。完全無償ボランティア 276 名。国内外からの劇団員など 71 名は全てホームスティ。総経費 1,450 万円の演劇祭は、成功裡に終了。
  • あしぶえと一般市民によるやくもアクターズが上演した「二十二夜待ち」が大好評。

2000 年

(平 12)

  • 「セロ弾きのゴーシュ」が 10 年 5 ヶ月で、上演 100 回を迎え、合計 2 万人の人たちが観劇したのを記念して、「18 歳以下のこども料金の低額化」を決める。15 年間こども料金は、1,000 円を死守してきたが、500 円に値下げする。しかし、その後、子どもたちの観客数を上げることがどんなに困難なことかを知る。「全稽古公開」「アウトリーチ活動」開始。
  • この年から、毎年 2 回、八雲小学校「ふるさとタイム演劇塾」を受け、「しいの実シアター」を使って読み合わせ・メーク・立稽古までの 3 時間コースの授業を始める。
  • しいの実シアターの名誉館長に有馬稲子さんが就任。
  • 「リバプール国際演劇祭」と「八雲国際演劇祭」が姉妹提携を結ぶ。
  • 「演劇」と「教育」を結ぶ仕事として、「表現」「コミュニケーション」についての実践を本格的に。
  • 演劇祭のボランティアリーダーら 7 名がカナダ「リバプール国際演劇祭」に参加し、ホームスティを体験し、運営を学ぶ。

2001 年

(平 13)

  • 5 ヶ国 7 劇団参加の「第 1 回八雲国際演劇祭」開催。総経費 2,600 万円。ボランティアスタッフ 314 名。ボランティアも観劇チケットを購入する姿が多く見受けられた。
  • 「二十二夜待ち」を創り直して再演。

2002 年

(平 14)

  • 文化庁河合隼雄長官が「しいの実シアター」を視察。文化庁長官としては初。「アットホームな感じがすばらしく、あしぶえの活動や施設もとてもユニーク」と評価される。
  • 八雲小学校で、3 年生対象で年間 20 時間の表現授業「あしぶえタイム」がスタート。2015 年の現在まで 14 年間継続。
  • 島根県内の劇団 11 団体の協議体として「島根演劇ネット」を設立。

2003 年

(平 15)

  • カナダのハリファックスで開催された「2003 世界演劇会議とフェスティバル」に「セロ弾きのゴーシュ」をもって参加。「視覚的舞台表現最優秀賞」を受賞。
  • 国際交流基金「地域交流振興賞」(現・「地球市民賞」) を受賞。

2004 年

(平 16)

  • 11 月に「第 2 回八雲国際演劇祭」を開催。世界 31 ヶ国 43 劇団から参加の問い合わせ。応募 13 劇団の中から、8 ヶ国 9 劇団を選ぶ。オブザーバーを合わせると 11 ヶ国参加の演劇祭となる。中学生ボランティアスタッフ 41 名も参加。
  • 演劇祭が島根ふれあい環境財団 21 から「島根県ふるさとづくり賞優秀賞」受賞。
  • 「彦市ばなし」上演。
  • 演劇祭のボランティアリーダーらがスキルアップを図るため、フィンランドの「クーサンコスキー国際子ども演劇祭」に参加。

2005 年

(平 17)

  • 3 月 31 日、八雲村は合併して松江市となる。
  • 12 月、法人認定を受け、「特定非営利活動法人あしぶえ」となる。
  • 「彦市ばなし」再演。

2006 年

(平 18)

  • 演劇祭実行委員会が「島根県文化奨励賞」、国土交通省・地域づくり表彰「国土交通大臣賞」受賞。
  • 「ブラボー ! ファーブル先生」再演。
  • 「彦市ばなし」再演。

2007 年

(平 19)

  • 松江市となって初めての演劇祭、「第 3 回八雲国際演劇祭」開催。世界 40 ヶ国 81 劇団からの問い合わせがあり、9 ヶ国 10 劇団が上演。
  • NPO 法人あしぶえがしいの実シアターの指定管理者となる。
  • カナダ「バンクーバー国際チルドレンフェスティバル」視察。
  • 演劇祭実行委員会が総務省「地域づくり総務大臣表彰国際化部門」受賞。

2008 年

(平 20)

  • JA くにびきから 15 周年を記念して「地域活動支援金」を受ける。
  • 第 6 回島根県民文化祭出雲ステージで「セロ弾きのゴーシュ」上演。
  • 「おこんの初恋」再演。

2009 年

(平 21)

  • 中国ろうきん寄付システム 2008 年度贈呈式にて支援金を受ける
  • NHK ラジオ「おはよう中国」に園山土筆が出演。以後毎月 1 回 3 年間務める。
  • しいの実シアターが財団法人地域創造から「JAFRA アワード (総務大臣賞)」受賞。

2010 年

(平 22)

  • 演劇祭のボランティアリーダーらが「沖縄キジムナーフェスタ」に参加。運営を学ぶ。
  • 「第 4 回八雲国際演劇祭」開催。「3 歳から楽しめる演劇祭」を目指す。

2011 年

(平 23)

  • 3 月 11 日、東日本大震災起こる。
  • 4 月、チャリティコンサート開催。
  • 12 月 4 日で創立 45 周年となる。
  • 「セロ弾きのゴーシュ」が上演 150 回を数えた。

2012 年

(平 24)

  • 「あしぶえ 20 年計画」の作成スタート。

2013 年

(平 25)

認定 NPO 法人へ
「演劇による人づくり・まちづくり」への理解と支援を得て社会事業として発展させるため、認定 NPO 法人となる。

2014年
(平 26)
  • 第 5 回八雲国際演劇祭を開催。
2015年
(平 27)
  • 「森の小さな演劇祭」の愛称でミニ国際演劇祭を開催。
2016年
(平 28)

あしぶえ創立 50 周年 
しいの実シアター未来学校を開校。

2017年
(平 29)
  • 松江・森の演劇祭 2017を開催。
2018年
(平 30)

「セロ弾きのゴーシュ」の総仕上げ公演

初演から 28 年、上演 175 回、3 万 8 千人が観劇し、海外演劇祭で 6 つの国際賞を受賞したけれど、「もっといい舞台にしたい」と音楽を一新して、28 年間の総仕上げ公演 を実施。
2019年
(平 31/ 令 1)
  • 11 月、在ブルガリア日本大使館の招待を受け、「セロ弾きのゴーシュ」を、日本語 4 割、ブルガリア語 6 割で、首都ソフィアとブルガスで上演。
    アクシデントなど海外公演の大変さはありましたが、観客はブルガリア語の発音とゴーシュのチェロ演奏に感動し、全観客スタンディングオベーション。
  • 6/22 一畑薬師法堂での「セロ弾きのゴーシュ」一畑薬師公演。9/22 ・ 10/6 しいの実シアター公演
  • 11/3 ・ 11/7 ブルガリア公演では、セリフをブルガリア語 6 割・日本語 4 割で上演し、大好評
  • 12/3 、浜田市立三隅小学校体育館で学校公演 (三隅小・岡見小・美川小)
  • 1/14 しいの実シアターで学校公演 (安来市立布部小・比田小・山佐小、松江市立八雲中学校)
  • 通算 199 回目のステージ
2020年
(令 2)

・新型コロナウイルス感染拡大により数々の事業が中止や延期となった

 11/27-29 新国立劇場演劇研修所生と専属劇団員との演劇研修交流を開催
   東京の新国立劇場演劇研修所から「14期生12名の国内研修としてしいの実シアターを会場に、劇団員と稽古交流をしたい」という申し入れがあり、それを受け入れて演劇研修所の期待に応え、今後の連携にも繋がった。